to−ya(トゥーヤ)
 
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“見て”



to−ya(トゥーヤ) / 1集 ('01)  <JPN 7" PHILIPS FL-1205>

アンジンギョン、キムジヘに日本在住であったリュウンジュを加えた3人組がto−yaだ。哀愁をおびたメロディをハイパーなジャングルビートにのせた2曲目“見て”はボビーキムのRAPが冴え渡る最高級K−POP。ウンジュ以外のメンバーはデビューよりすでに早い段階で決定しており、各音楽雑誌にプレでto-yaの名で姿をあらわしていたので認知度は高かった。デビュー後は幸先よくリーダー曲が音楽番組でTOP5に入ったり、韓流ブームがおこる前、韓日共同ワールドカップが開催される前の、01年数々の韓日イベントで親善大使として活躍したto-ya。02年夏2集が発表される前に解散してしまったが、K−POPガールズの歴史の中でいまだ彼女たちの存在意義は大きい。

キムジヘはto-yaを結成する以前から、タレントとしてチェクスキスの主演映画『セヴンティーン』や雑誌のモデルとして活躍していた。そして韓国で湧き上がったひとつのプロジェクトのために彼女を起用することに。そのプロジェクトとは『韓国の歌手を日本でデビューさせる』というもので、2002年の韓日交流へ向けての照準であろう。グループデビューよりも2年前の98年からその準備にとりかかった。まずキムジヘをTO−YAの最初のメンバーとして決定した後、オーディションを何度も開き、6ヶ月の経過の後、アンジンギョンが本格的なR&B歌唱ができる歌手として姿を現した。当時16歳だった彼女は年齢より予想をはるかに超える表現力のある歌声で審査員をうならせた。この2人が決定した後、前述の通り別のメンバーを無理やり一人加えた状態で音楽雑誌などで紹介されたのだが、やはりぴたっと合致せずタイムリミット迫るなか、メンバー2人だけで日本へ渡りレッスンをはじめた。日本で活動するため日本語を勉強しダンスレッスン及びボイストレーニングもしたのだから、辛くて厳しい韓国の新人アーティストのレッスンに輪をかけたハードさだったに違いない。そして待つこと00年4月リュウンジュが現れた。彼女は10年以上日本で暮らしていてファッション雑誌『Cawaii!』などのモデルとして活動してきてお父さんも歌手だというから芸能界なれした女の子だ。この最強の3人で、日テレ系『ピンクパパラッチ』でデビューまで出演し、念願のシングル“Are you...?”を11月にビクターから発売した。チャートは上がらなかったが、キムチャンファンのプロデュースした日本グループ、カラーの“Why”路線の佳曲といえる。そして活動の矛先を年明けには韓国へ向けはじめ、00年4月デビュー前にもかかわらず、韓国音楽放送チャンネルm-netの開局パーティーにSES、オムジョンファ、HOTとともに出席。その後すぐに1集を発表、夏らしいリーダー曲が、8月にかけてじわじわチャートを上がりスマッシュヒットとなり、後続曲“行って”もヒット、まずまずの滑り出しとなりなる。その後翌年の東京で行われたコリアエクスポでも司会と出演をこなしファンを喜ばせたが、発売されるはずの2集が発売されず(本人たちが2集発売を言及していた)自然消滅となった。






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