イム・ソンウン 
 
ダンス歌謡→猟奇POP→R&B 波乱万丈K−POP歌手 



DISCS


@ A B
C D E
F G





動画
YTC1集“情(ジョン)”
“心残り(アスィム)”→YTC
“Give Me The Night”
“最後の思いやり(マジマクペリョ)”
“Set Me Free”
“片思い(日本語Ver)”

動画提供:54mphさん
イム・ソンウン 

 

 1973年、9月19日生まれのイム・ソンウン。彼女の芸能活動は、K−POP歌手の中でもとりわけ紆余曲折。まず、92年19歳の時に『こんなに悲しい心で』という曲でデビュー、アセアレコードからLPとカセットテープのみで@0.5集(再デビューの際、1集とカウントしたため)を発売するが泣かず飛ばず、辛い下積み時代を過ごす。幸運が舞い込んだのがその3年後の95年、当時『ルーラ』と人気を二分していた男女混声グループ『TWOTWO』が1集発売後、メンバー脱退のためイム・ソンウンへ白羽の矢が当たる。今まで紅一点であったメンバー、ファン・ヘヨンはどちらかというとクールなイメージだったのに対し、イム・ソンウンはキュートで明るいイメージで売り、好対照な女性Voが2人となった『TWOTWO』2集Aはファンを増やした。ここで運命のいたずらか、リーダー、キム・ジフンが兵役のため脱退、グループは自然休止となる。そこでまたも幸運なことに、『ソテジ・ワ・アイドゥル』で一世風靡したイ・ジュノが企画したダンス・グループ『ヤング・タークス・クラブ(YTC)』の創生メンバーに抜擢され、96年8月にデビューするB。『ヤング・タークス・クラブ(YTC)』は女性3人男性2人の混声グループで、同年デビューし革命を起こした『HOT』、1年先輩『TURBO』と共に新しい世代の音楽を提供し、過去ヒットしたグループとの差別化を図った彼らのデビュー曲“情”(ユ・イルサン作曲)はダンス歌謡によりビートを効かせた新鮮なサウンドでヒットチャートの首位に輝き一気に大ブレイクを果たす。翌年97年3月2集をもって大々的にカムバックした『YTC』だったがそこにイム・ソンウンの姿はなく“心残り(アスィム)”という彼女作詞、歌唱の楽曲がクレジットされただけで結局、4月には正式に脱退を表明した。傍から見れば、「ただの踏み台」的この行為が後々の彼女の芸能活動に影を落とすこととなるのだが、念願の再ソロデビューを掴んだイム・ソンウンは同年9月C1集を発表。前作の縁でユン・イルサンがリーダー曲“未練”を提供、この時点では新生YTCもTOPグループとして人気が持続しており、相乗効果で彼女の歌もヒット、後続曲にYTC2集にも収録された“心残り(アスィム)”を起用し、歌番組では曲後半でYTCが飛び入りするサプライズもあり仲の良いところをアピールした。下積み時代が長かった彼女だけにアイドルもアーティスト的な面を育てなければ勝ち残れないと思ったのか、この1stアルバムではすでに全11曲(MRは入れず)中、7曲も作詞を手がけている点も興味深い。続く98年、2集Dを発表、いよいよ全曲彼女が手がけたアルバムが完成する。Bボーイスタイルの衣装で歌うタイトル曲“My Love”はそのままYTC延長線上のダンス歌謡で作詞作曲も彼女。アルバムも佳曲が多くこの2集をベストに挙げる人も多い。2集活動はYTC人気の下降と比例し、ヒットが縮小していった。楽曲が良いのに人気が下がっていった原因としては、グループ歌手全盛時代、女性ソロ歌手がヒットを飛ばす土壌がなかったこと、所属事務所ARメディアが弱小であったこと、YTC時代から発売元をLGMレコード、ウンジンメディア、ROCKレコードと、渡り歩いてきたことなどが人気定着に結びつかなかったのではと推測する。一方、日本では同年開催された『韓日交流祭 KOREA SUPER EXPO 2000』で関係者用に配られたプロモCDの中で後続曲“片思い(チャクサラン)”の日本語Verも吹き込んでいる。さて現地韓国ではYTCが男性メンバー兵役のため、2年間活動休止しそのグループ名すらも忘れられかけた99年、イム・ソンウンは3集Eでカムバックする。前作で上手く販路を見出せなかった彼女、同じく全曲を手がけているのだが大きく曲調をトロットへ接近させセクシーなコンセプトで“最後の思いやり(マジマクペリョ)”“香り(ヒャンギ)”で活動、ファン層(巡業先?)を拡げる新作戦に出た。しかし今回もTV出演の機会が少なくヒットはなし。そして2年のブランクを経て01年3.5集Fを発表、再びユン・イルサンに作曲を依頼、“Set Me Free”という猟奇ポップの名曲を提供してもらう。髪を金髪に染め(そういえばチェ・ジョンアンも!)イメージチェンジを図りSBS人気歌謡に登場した彼女に、YTCでの過去の栄光はすでになく、場末のキャバレーで30年同じ歌を歌い続けている演歌歌手のようなその妖艶なスタイルは、ある意味吹っ切れた感じでインパクトはあった。いよいよヒットすら出ない彼女は02年、アーティスト名を“MIZ”に変え、流行のR&B路線に完全スイッチを試みGを発表。すこしの整形で「あれ、この娘イム・ソンウンに似てるな」なんて一部のK−POPアイドルファンに騒がれたりしたが、またもヒットには至らず撃沈した。いろいろな運命のイタズラに翻弄されたイム・ソンウンではあったが、98年以降のK−POP女性ソロ歌手の歴史として人気に関係なく作られた作品は評価に値する。再び、彼女が韓国芸能ニュースの話題に上ったのは歌手活動終了から4年。33歳になったイム・ソンウンが4歳年下のリゾート事業家ソン・ジヌさんと結婚したというニュースであった。結婚式での彼女の涙は、『幸せの絶頂』から来たものか、彼女の苦労を物語るものなのか...


『韓日交流祭 KOREA SUPER EXPO 2000』追加情報提供:54mphさん



(C)Copyright 『K-POP GIRLS DISC FAN』 1999~
レビュー、資料等の無断転載を固く禁じます。


track feed Kポップ 韓国女性アイドル