
Sara 1集 / 『Destiny 命運』 ('07)
<XGY-030>
‘Whatever(ハングル歌唱)’
‘運命(ハングル歌唱)’
‘こっちへ来て(中国語)’貴重なMV




Sara 2集 / 『I'm SARA』 ('08)
<CGM0366>
‘分からないわ(ハングル歌唱)’
‘Flava(ハングル歌唱)’
‘Strong girl(中国語)’貴重なMV

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- ザ・カラー(The Color)ファミリー
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ザ・カラーのセファちゃんが中国本土で『SARA』という名前で歌手活動を続けていた。びっくりだ。もともとザ・カラーは03年中国人2人と韓国人2人の韓中合同グループで、韓国での活動があまり耳に入ってこなかった所ををみると中国での活動が多かったのかもしれない。ユン・ソナが日本で、アユミが韓国でと、仕事の延長線上でそのまま第2の国にいつづけ外国人視点から芸能活動を継続することはよくある話でSARAもそのタイプとみた。もうすこし推測させてもらうと中国に“吉林省”という地域がある。そこは中国と北朝鮮の国境に位置する場所で、もちろん民族的な割合では中国人が圧倒的に多いが朝鮮族の集落(町)が多数存在する。そして中国である吉林省は北朝鮮より韓国文化がダイレクトな情報として入ってくるため、そこから韓国へデビューする芸能人もごくたまにあるという事例。吉林省出身の過去アイドルとして韓国デビューした朝鮮族男性グループ『アリラン』も私が過去に知り合った同郷の女性が言うには地元のスターであったというし彼女も中国語・ハングル両方話せ歌手志望で中国からでてきていたのでそんな未知なる地域の未知なる才能を想像するだけでなぜか胸が躍る。ザ・カラーのメンバー選抜にもそういった地域ごとの芸能事務所が絡んだりしていたのかもしれない。

さて、話が横道にそれてしまったが、03年韓国で結成されたザ・カラーは05年中国で‘三心二意’という曲で活動した後、解散しSARA(22)は再び中国に単身で乗り込み06年3月、中国側の事務所「北京天浩盛世」と契約し1集『運命』を発表。運良く、タイトルの‘命運(韓国では運命)’が200弱の放送社が総合して作る歌謡チャート『中国音楽連播榜』で韓国人初の1位に輝き、文化開放が進んでいる中国本土にJ−POPとともにおしゃれな音楽として韓国音楽スタイルを普及させた。その後、07年中国主要都市で開催された各音楽祭に参加しトゥンナン音楽賞ではアジア最高有望新人部門で受賞したり、その際、ジャッキーチェンが経営するマネージメント社の芸能人たちと同行しスター級の扱いを受けたという記事もある。この年SARAは韓国歌手『ユニ』が自殺した事件に触れ中国メディア側に韓国芸能界の闇“性接待”について暴露発信して話題となった。(最近自殺した女優チャン・ジャヨンでもこの事は言及されている)
以下は中韓修交15周年を記念して中国系サイトで行われたSARAのインタビュー。
デビューからアルバムについてふれている。
記者(以後K): こんにちは
SARA(以後S): こんにちは SARAです。
K: お会いできて嬉しいです
S: 私も嬉しいです
K: SARAさんは 2005年に中国に進出したんですか?
S: はい
K: 中国芸能市場が望みがあると
韓国芸能市場をあきらめて中国進出を夢見るようになった
動機を知りたいです
S: いやあきらめたという訳ではないです。
準備して中国語を沢山勉強したら自然とこういう道が開けまし
た。私は以前から中国にすごく関心があり、特に言語の部分
が好きで中国進出に対してはいつも考えていました。
なので中国でアルバムをリリースしてそしてまたアジア市場に
もアルバムを発売し、その次にまた韓国で活動をしようと考え
ています
K: 中国で 2年近く芸能人として生活と活動されましたが
中国の芸能環境についてどういう印象を持たれましたか?
S:
率直にいうとかなり似ていると思います。
しかし私が感じたのは韓国はあまりにも小さく
中国はあまりにも大きいということです。その差がありますね
(笑)常に飛行機に乗ったり言葉も全然違うじゃないですか。
私は北京で中国語を学んだんですが他の地方に行っても
例えば、台湾に行くことがあっても言葉があまりに違うから意
味が分からないでしょうね。
韓国にいる時はその辺りは分からなかったんです。
中国がどれだけ大きいのか。来てみると確かに大きいですね
(笑)

K: 2007年 1月5日に中国での初めてのアルバム "運命"を発表したん
ですよね?
これはSARAさんのファーストアルバムですか?
S: そうです。
K: このアルバムのためにどのぐらい準備したんですか?
S: かなり準備期間が長かったんですが『レコーディング』と
『曲の歌入れ』に特に時間と労力がかかりました。
なぜならこのアルバムには中国語も韓国語も両方収録され
ていて一つの言語ならまだよかったんですが中国語の歌詞、
これがちょっと難しかったですね
K: それではアルバムに収録された歌は全部中国で録音されたんです
か?
S: 1集アルバムはほとんど中国で行いました。今 2集アルバムを
準備中なのですが半分以上は韓国です。
今回は東方神起、シンファなどの作曲家と
一緒に合作をして収録する予定です。
K: 最近のセールス(発売量)はいかかですか?
S:
(笑みを浮かべ、つぶやきながら...)
秘密ではないんですが、自分でも分からないほど
売れているって聞いています。最近、私にはよく分からなくなっ
ています。なぜなら活動があまりにも多いから。
そして中国各地がそれぞれとても遠いでしょう。中国全土を
飛び回りまたアルバム準備して、すごく忙しいので... たまに会
社に立ち寄る時間があり私のアルバムがどれくらい売れている
か話を聞く機会がありました。インターネットで反応が良かった
よなんていう話もあって.. ずっと分からない状況が続いてまた
こんなことが耳に入るのですごく気持ちが良いんです。その度
にもっと頑張らなくちゃいけない。 愛をくださるくらい自分ももっ
と熱心にしなければという考えがいつもあります。
K: タイトル曲 "運命"を聞いたんですが
忘れてしまった愛に対する哀愁の感情が入った悲しい歌ですね。
どのようにこの曲がタイトル曲に選ばれたんですか?
S: 率直にアルバム名も "運命"としたし曲名も "運命"としまし
た。
なんといったらいいのか私が歌手活動をはじめた時、大変なこ
とが多かったんです。 簡単には言えませんが家庭環境なども
その要因で私の考えとして 『運命』が変わってくれたら良いの
に、『運命』が好きになったら良いのに、そんな意味でアルバム
名にしました。
そしてタイトル曲も私が作曲に参加しています。そういう曲への
愛着から "運命"をタイトル曲に選びました。
K: アルバムに収録された曲は曲目も違ってそれぞれ
ジャンルも違いますね。
SARAさんが一番好きなジャンルは何ですか?
S: 私は基本的には R&B そしてヒップホップが好き。 バラードも
沢山歌うほうです。
女性らしい歌声が多い中、私の声はちょっと違っていて中性的
な声質なんです。なのでバラードが似合うかも。
K: SARAさんは 2007年 10月中国で初ソロコンサートを開かれ
大盛況だったと聞きましたが私は残念なことに現場に行って
見れていないんです。
S: 残念でしたね(笑)
K: その時のファンの規模や反響はどうだったですか?
S: 2007年
10月3日北京チョヤン公園で開催されました。
所属事務所の作曲家たちとデビュー準備中の新人など
一同に会して私のコンサートを祝ってくれる主旨で
コンサートが進行されたので想像以上に沢山の方がいらっしゃ
いました。聞いてはいたんですが実際目の当たりにすると驚く
べき数でした。
K: 中国香港のワールドスター、ジャキー・チェンとも
縁があるとお聞きました。彼とはどういった経緯で?
S:
元々は彼は私の昔からのアイドルだったんです。
どういうわけか北京にある私の所属会社と
ジャキー・チェン先生が親しき関係にあり
紹介して頂きお会いしました。
あの時はチェン先生は私が外国活動の準備で
中国語を学んでる姿に、この子は努力すると憶えてくださって
次にあった時は今度はチェン先生の方が分からない中国語を
韓国語に翻訳して話して頂き、そのおかげで楽しく会話ができ
ました。
K: ジャキー・チェンさんの会社とも契約を結んだとお聞きしましたが?
S: はい。それは映画部門での契約です。アルバム部門は私の所
属会社が別にあるためです。
K: SARAさんは中国に進出した2年間、たいへんに飛躍的な活動を
広げて来ました。
〜中略〜
このように忙しい活動中でもSARAさんは芸能人としての慈善共益
活動にも積極参加しています。
中国舞台を今日まで眩しく輝くことができた一つの
要因がまさにSARAさんの社会的な責任感ではなかったかという
気がします。
来年08年の活動予定を簡単に紹介してくださいませんか?
S: 来年 3月に2集アルバムが発売されます。
その次は映画を計画をしています。声がかかるのを待ってい
ます(一同笑い)
以下省略
ということで08年、2集『I'm SARA』が発売された。全14曲中なんと5曲もハングルで歌唱しているので貴重なK−POPといえる。前作『命運』はSARAが3曲作曲しサウンドもザ・カラーの延長線上で珍しいK−POPとして聴けたが、今回はSARAが全過程のプロデュースに参加した力作だがシンファに曲を提供した作曲家イ・サンインが絡んでいることで一昔前02年あたりのユ・ヨジン作風を模写したかの様なBoA路線が展開、一気にスターダムにのし上がるには手っ取り早いかもしれないが、いささか閉口してしまう。んんんん?というかどこかで聴いた曲だ。2曲目<別再惹我>韓国名‘Flava’は03年、男性グループ『SMAX』がヒットさせた‘One Love’(イ・サンイン作曲)をテンポを落とし改作しただけだった。通りで新鮮味がないわけだ。タイトルは同じくサンインの3曲目韓国名‘Strong Girl’でまんまBoA。4曲目<夏傷>韓国名‘雪の花’は後続として活動したがMVがどうやら中国検閲政府にひっかかり放送禁止となって09年3月韓国芸能ニュースで報道された。バラードなのにどのシーンでひっかかったのだろうと思っていたら6分余りの尺で武術に上手い俳優たちが格闘しながら勝ち上がっていくシチュエーションで優勝者がSARAと大胆に熱情的なキスをするシーンがアウトだったということ。
という訳で長々と、綴ったが03年ほぼダウンロードオンリーで活動した、ザ・カラーの表現力ありありな歌声に私の耳は異常に反応し、それが後のB.U.TやSARAのソロ活動が結果を出したことでその反応もまんざら間違っていなかったとことを思うと、どこで繋がっているのやら、どこで再評価されるのやらますますK−POPって深いっす。
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