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 BABY V.O.X (ベイビーボックス)

베이비복스     

  
PROFILE

第1集


第1期メンバー


第2集


'ya ya ya'


第2期メンバー


第3集


'Killer'


第3期メンバー


第4集


'Why'


4集発売時


第5集


'Game Over'


5集活動時


第5.5集

'偶然'


第6集


'私、どうしよう'


第7集


7集活動時


キム・イジの結婚式で集まったメンバー


2010年にTVで再結成しました。


映像メディア

『Net CD』CD-ROM
1999年1月

『Show Me Lovabl Girls』VCD
2000年3月

『2000 COLLECTION』VCD
2000年11月

『MUSIC CHAMP』DVD
中国公演のオムニバス
2001年3月

『2000 COLLECTION』DVD
2001年7月







 Baby V.O.X=『Voice Of Expression』の意。メンバーはリーダーのキム・イジ、イ・ヒジン、シム・ウンジン、カン・ミヨン、ユン・ウネの5人組。K-POPガールズを語る上では欠かすことの出来ない重要なグループ。


 デビューは意外と古く97年、ピンクルより前でSESと同期である。とはいうものの、初期メンバーは、キム・イジとイ・ヒジン以外は全員別人でコンセプトも韓国流ヤンキースタイルで1集を発表、“髪を切る日”で活動したがヒットはなし。


 その間に韓国歌謡界は男性グループ『HOT』の新型K-POPが席捲し、同所属事務所“SMエンタ”から女性グループ『SES』がデビュー、今までの女性アイドルの中でも例をみない人気で一大ムーブメントとなる。


 それに続きDSPエンタが対抗馬として翌年98年4人組『ピンクル』をデビューさせ、カン・スージー譲りのお姫様ポップでデビュー曲から短いスタンスにたて続けで3曲連続1位を獲得、『SES』と肩を並べるビッグスターとなった。


 そんな状況を遠めで見ていたベイビーヴォックス(以下ベビボ)の所属会社“DRエンタ”は、ピンクルに標準を合わせグループのイメージを大きく変えるべく、新たに2人、シム・ウンジン、カン・ミヨンを新メンバーに迎えた。


 『可愛らしくキュートな女の子』としてコンセプトが決まり、当時ユ・スンジュンの“ナ・ナ・ナ”などを大ヒットさせていた作曲家『キム・ヒョンソク』がアルバムのプロデュースを担当、2集を発表(98年)、タイトル曲“ヤ・ヤ・ヤ”という一世一代の名曲が生まれ、一気にチャートの上位に躍りだしグループの人気も急上昇、後続曲“Change”も大ヒットしベビボは女性グループ人気3番手につけた。


 ブレイクの要因としては楽曲もさることながら末っ子のカン・ミヨンというアイドル性を持った実力派がメンバーに加わり、グループ全体が華やいだところが大きい。


 当時、あまりの可愛らしさからHOTのファンが嫉妬し、勝手な噂でカン・ミヨンに催涙スプレーを吹きつける事件まで起こった。あと当時は『楽器を弾きがら歌えるアイドル』というコンセプトもあり、カーペンターズの『Top of the World』を演奏しているシーンが同時期発売されたCD-ROM『Net CD』で確認できる。


 同年、その人気の過熱が裏目に出た事件が起こる。最年長でリーダーのイ・ガミの年齢詐称疑惑である。この責任をとって彼女はグループを去った。


 翌年99年新たにカン・ミヨンより年下で15歳のユン・ウネがメンバーとして加わり、解散までのメンバー補充はここに完結する。そのユン・ウネの魅力が加わったベビボは同じくキム・ヒョンソク体制(5集まで続く)で3集を発表、SES、ピンクルとの差別化を図るためまだアイドルが足を踏み入れていなかった『セクシーさ』をコンセプトに活動する。


 上半期は“Get Up”が首位に、下半期は“Killer”が大ヒット、ここに第1期黄金期を迎える。輝かしい成績をおさめた99年はクリスマスアルバムに“赤鼻のトナカイ”で1曲参加したり年末の10大歌手にも選出されたりアイスクリームのCMにも出演している(その模様はなどで確認できる)。





 翌年00年、4集で彼女達は、今までのアイドルの風習=グループとしてメンバーが同じ衣装を着ていたパターンを止め、それぞれが違う色と形の衣装で、ドリームコンサート(年に一度ビッグスターだけが出演できるイベント)でカムバックを果たす。


 その時歌われていたタイトル曲“Why”も前作と同路線の高水準ナンバーだったのだが統一性のある韓民族にとって、その不揃いの演出に少々面食らった様子で歓声がひときわ小さかった。


 その予感は的中し、ベスト10には入るが首位にはなれず、すぐさまその反省を生かし後続曲“背信(ペシン)”では、去年の同様の全員同じ衣装のスタイルに戻したが、時代の波には乗れず、ピンクル、SESのカムバック首位奪還を尻目にベスト5が限界になってしまった。





 活動期間中、TOPにならないと次回のカムバックがより辛いものになる弱肉強食の韓国芸能界にあって、01年、5集でのカムバックは大変厳しいものとなった。


 コンセプトを『ボーイッシュ』とし男らしい女性としてスーツ姿でステージに登場したベビボは“Game Over”で活動、またもベスト10止まり、続く“人形”では一転バービー人形のような振り付けで可愛らしさをアピールしたがファンを拡げることができず活動を終了。


 とはいうものの作品的に出来が悪かったのか?といえばそうではなく2集~5集までのキム・ヒョンソクプロデュースのベビボ作品はすべて名盤といえるくらい良質だ。時代の先をいっていたのかもしれない。





 だがここでDRエンタは、キム・ヒョンソク陣営と決別する。02年窮地に立たされた彼女達が救いを求めたのはキム・チャンファン。『ノイズ』というグループ出身の彼は90年代初期に大韓ブラックのはしりとなったキム・ゴンモと組み大ヒット、その後やや下降線は下るものの人気男性2人組『クローン』など現在進行形で担当しており、彼は以前プロデュースしたKOLAの1集に収録していた楽曲をラテンテイストに焼き直しし新曲“偶然(ウヨン)”として仕上げた。


 その“偶然”は新アルバムとして発表せず、今までのアルバムからの初のBEST盤(5.5集)に収録して発売された。そして時は、02年韓日同時開催ワールドカップ。アゲアゲムード真っ只中、このリズミカルな楽曲は急上昇しなんと首位にまで到達する。


 この時期ワールドカップ応援歌『ラララ(CLON)』のMVに出演しているが音盤は確認できず。


 悲願の1位で不死鳥のごとく蘇ったベビボは、後続曲をとらず翌年03年前半6集で一気に勝負に出た(途中、1stライブCD発売や日本デビューなどあり)。


 今回も引き続きキム・チャンファン陣営で今までのベビボになかったハウスタイプの“私どうしたの?(ナン・オットケ)”でカムバック早々1位を獲得、続くパクミギョン4集収録の焼き直し“希望(パレム)”も首位にはならなかったものの好評を博し、初の写真集も発売された。


 この時期からベイビーヴォックスは、以前から行っていたアジア圏進出を活発化し、特に中国とタイではTOPクラスで迎えられた(6集のラストにも中国語の歌が収録されている)。彼女達が韓国での活動を手薄にしていた03年夏は元ピンクルのイ・ヒョリによるソロデビューが大ブレイクし、そのあまりの人気に『イ・ヒョリシンドローム』という社会現象が巻き起こりセクシーさをアピールする歌手が続々デビュー、その状況は数年続いた。





 そんな状況が変わった韓国音楽界に彼女達は04年7集でカムバックする。そこにはベビボらしさはすでになくキム・チャンファンも去り、リーダーのキム・イジが主導権をとったであろうと推測できる全編RAPナンバー“Xcstasy”を発表、困ったことにこの楽曲は米国で若くして銃弾に倒れたギャングスタラッパー『2PAC』が生前吹き込んであったラップナンバーにベビボが無理やり韓国RAPをかぶせた痛々しいものとなり、チャートも低迷した。


 おまけに韓国のトップRAPグループ、DJ DOCが“2PACを冒涜している、ベビボはSEXグループ”とメディアで非難しほとんどのアングラ系R&B、RAPチームを敵に回す大失態をさらし後続曲“Play Remix”も活動短く切り上げる散々な結果となった。


 その後、地位を失った彼女達をもう一度再出発させる資金がDRエンタにはすでになく(2PACとの共演料で莫大なギャラが発生したため)、アジア圏でのヒット動向に思いを託したがパッとせず、その煮え切らない事務所の方針に、最年少であるユン・ウネは『脱退』という形で答えを出し、その後軌道修正を試みるもそれぞれがソロでの活動を希望し、ベイビーヴォックスはここに幕を閉じた。


 解散後、ユン・ウネは女優として大ブレイク、シム・ウンジン、カン・ミヨンは歌手として精力的に活動、キム・イジはMC業に転向、イ・ヒジンはグラビアに変身したボディを露出し芸能界での成功を夢見ている。とこれが現時点での動向である。


 最後は虚しく終わってしまったベビボではあったが、彼女達が確立したK-POPの名曲群はAメロBメロにユン・ウネ、カン・ミヨン、イ・ヒジン、シム・ウンジンが入れ替わり、ブレイクでキム・イジのRAP、サビあるいはCメロの大サビに表現力のある高音のカン・ミヨンが再び登場する短編ドラマのようなハッとする展開が魅力で、男性グループHOTや、シンファにもこのスタイルが見られ、日本の音楽にはないK-POPの醍醐味のひとつといえる音楽世界を完成してくれたことは感謝に値する。


 あとピンクルのDSPエンタが日本進出に好意を示さなかった時代、ベビボは日本のファンの前へ幾度か訪れてくれた大切なK-POPアイドルであったことも追記しておく。


   







【秀麗韓(スリョハン)】





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